粟神社本殿

一間社春日造、檜皮葺、二軒繁垂木

摂社粟神社はもと宇多大津粟戸にあった式内社で、明治新政府の合祀令により明治41年4月に大津神社境内の現地に移転した。
現在覆屋内に納められている。泉大津市有形文化財。

建立年代は不明であるが、室町時代後期と考えられ、桃山時代(慶長頃)に改修、さらに江戸時代(元禄頃)に主として向拝部分を改修している。

身舎は、円柱に上下長押、頭貫を通し先端を木鼻とする。
柱間は正面のみ格子戸両開で、他は横板嵌殺である。
組物は出三斗とし、中備は四周に蟇股を置く。その内部の梅に鶯、牡丹、椿、楓、松などの彫刻や、それぞれ形を変えた蟇股上の実肘木などには桃山時代の作風が窺える。

向拝は浜床上に几帳面取角柱(江戸中期取替)を立て、昇高欄(江戸末期取替)を付けた五級の木階を掘える。
向拝は後世の改修が多く、向拝虹梁とその木鼻(象鼻形)や身舎と向拝を繋ぐ海老虹梁も身舎背面の虹梁とともに江戸中期の改修によるものである。しかし角柱上の連三斗の組物は大斗と巻斗の背が高く古風で室町後期まで遡れる可能怯があり、実肘木や中備の蟇股も身舎と同じく桃山時代の様式をもっている。

粟神社本殿は、本社本殿瑞垣内に有り、禁足地となっておりますので、一般には拝殿から拝観していただくことになります。
(覆屋内に納められている為、細部はほとんど見えません。御了承下さい。)尚、拝殿にて祭典その他諸行事や諸準備が行われている場合や、営繕等の行われている場合は拝観いただけませんので、
必ず事前にお問い合わせ下さい。

絵馬・扁額

絵馬扁額

若林繁政氏が、長男繁之の病気平癒を祈願したところ、その大願が成就したことを喜び、奉納したもの。

奉納大願成就

吾家長子繁之有病惟
神之依病□漸□神亦不触使之
起今也氣〃□立行且老□魚
□嗣可□□業者則亦莫□□
祖先也 神若有靈使生□
若孫熾而則何幸之時
弘化二乙己年(一八四五年)九月吉辰
若林繁政敬白(花押)

との墨書がある。

並将棋扁額

天保四年癸巳(一八三三年)季夏
並将棋

との墨書。
また額縁には「連中」と銅板打ちされている。
願意は無いが、金雲や松、旭日の図柄から見て何かの祝い事として 奉納されたものであろう。
写真でははっきりしないが、羽織には各人の屋号が描かれている。

陰陽五行厄除桃方位盤

摂社「式内粟宮」に祀られる「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」は古代豪族の忌部(齋部)氏の祖神とされ、古事記や日本書紀にも登場し、陰陽五行思想に基づく占事や祭具の神として古来より厚く信仰されてきました。
また、当社は、鬼門より人々を守護する社として、表鬼門に当たる丑寅(東北)の方位を背に建立されました。
桃は陰陽道で魔除け厄除けの果実とされます。また、方位盤の四隅の玉は御富岐玉(みほぎだま)と呼ばれる祭具で、各方位を守護する青龍、朱雀、白虎、玄武の四神の力が宿ると言われています。
ご参拝の折には、厄除桃・御富岐玉を手でさすり、そして自身の身体を撫でて祓い清め、お祈りください。